怖いという娯楽
怖いもの見たさ、という言葉を、ホラー映画などを見る人からよく聞きます。
怖いけど、見たい。
怖いから、見たい。
だいぶ違いがあると思います。
恐怖体験をするとアドレナリンがでるといいます。
つまりドキドキするわけです。
つり橋効果なんていうものがあるように、ドキドキする、という状態は脳が勘違いしやすいのだと思います。
普通に生活をしていたとして、娯楽ではない恐怖を体験したい、と思う人はまれであろうと思います。
娯楽として、安全を無意識にでも意識的にでも確認できているからこそ楽しめる、というわけです。
実際には安全でない廃墟などで肝試しなどをする人もいますが、人の多くは『今日自分が事故にあう』などとは普段考えません。
危機感がない、ともいえるでしょう。だからこそ、そういう場所にいっても楽しめる人が多いのだと思います。
危機感がある人であれば、準備はするでしょうし、そもそも必要に迫られなければそういう場所には行こうとは思わないでしょう。
しかし、危機感が少ない、というのは良い言い方をすれば余裕があるのだ、ともいえると思います。
娯楽を楽しもうと思うのであれば、余裕はあったほうがいいでしょう。
むしろ余裕が無さ過ぎると、娯楽はなかなか素直に楽しめるものではありません。
車にはねられたそばから小型のテレビを持ってこられて映画を見させられても『救急車を呼んでくれ、君と僕の分、二台で』くらいの皮肉を返すのが関の山です。
これは例として極端ですが、つまりは子供の頃夜怖いと思う人は多かったと思います、それを楽しむことが出来たのか?ということです。
ホラー映画を見ている時も、夜一人で歩くのも、同じ怖いという感情のはずです。
つまりは単に状況によるということなのですが、それだけ人の感覚というのは曖昧であるということを言いたかったのです。
結論としては、その辺りをうまくついた娯楽がこれから増えればいいな、という事を他力本願ではありますが、願います。